DIGIT通信journal

DiGiT通信 Vol.14 – HR Techの始まり:人事部時代の体験より-

2019.01.23

=== DiGiT通信 Vol.14 ==================================

ディジット メールマガジン 2019年1月23日配信号

コラム『人事部時代エピソード – 自分の中でのHR Techの始まり-』

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このメールマガジンは、既に当社パートナーとしてご活躍されている皆様と、これ
まで当社およびグループ会社で名刺を交換させていただいた方にお送りしています。

ディジットの三浦です。今回は、前回に引き続き、HR Techをテーマに、自身の人事
部時代のエピソードから、HR Techの始まりについてお話したいと思います。

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第14回: 「人事部時代エピソード – 自分の中でのHR Techの始まり – 」

自分はかつて某電気メーカーの人事部に在籍していました。1986年から9年間、工場
人事、人事部、勤労部とちょうど3つの部署を3年ずつ経験しました。時代は円高が
始まった直後で、バブル経済による採用難から円高不況へと、日本経済が変わりゆ
く真っただ中でした。

自分から望んで人事に配属された訳ではありませんでした。新卒社員はすべて配属
面接を受けるのですが、その際にも「人事」という単語は一切出なかったと記憶し
ています。でも結果的には、面接いただいた人事部長の部下となっていました。

当時(今も?)、人事配属の新卒は、まず工場の人事部門を経験することとなってい
ました。配属発表直後に、人事部長直々に「ここにいるメンバーはまずは工場に勤
務してもらう。その後3~5年で本社の人事部門(人事部、海外人事部、勤労部、総
務部、厚生部、研修センター)のいずれかに異動となる」と言い渡されました。そ
して間髪置かずに、「工場では何にせよ目立つ存在になるので、不用意な言動は慎
むように」と。

やがて横浜工場に配属となり、そのわずか1年後、今でいうリストラに直面しました。
横浜の事業部機能を盛岡に移転し、移動できない社員は本社か横浜工場にわずかに
残す生産ラインに従事(当時の横浜工場は、最も古い工場で、引っ越しのできない
社員が多数在籍していました。元々は1工場で3000人ほど在籍していたところでした
ので)するという内容です。リストラの正式発効日の4か月前に、事業部長と当時の
直接の上司だった総務課長から、リストラ計画と今後の人事部門としての対応につ
いて話がされました。約400人の在籍者のうち、120人を盛岡へ、180人を本社へ、
100人を生産ラインへという計画です。

直ちに全在籍者のプロフィール洗い出しが始まりました。家族構成、出身校、実家
の場所等に至るまで、社員台帳を基に作成した一覧表は膨大でした。しかも、極秘
裏に作成しなければならなかったその作業は、当時の管理部門に1台しかなかったPC
を使うため、深夜か休日に限定して行われました。今にして思えば(マルチプラン
というソフトでしたが)、その会社初の人事DB的なものでした。

人事部門の努力空しく、約15人が退職となりました。しかし、そのDBが無ければ、
4か月でのリストラ実行はできるはずもなくまた、退職者ももっと増えていたことは
間違いありません。そのDBはその後、引っ越していく社員の引っ越し管理や、本社
へ異動する社員の配属管理にも使用しました。と同時にそれは、自分の中でのHR
Techの始まりでもありました。

– 次回へ続く –

執筆者:三浦才幸

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